【第3章 ふたり】 第2話

2人は、毎朝同じ食卓で朝食をとり、毎晩同じベットで眠りに付くようになりました。

俊夫は、神様などこの世には存在しないと考えておりましたし、姫子も愛などと言う陳腐な言葉で表される感情などこの世には存在しないとかねてから考えていました。

「神様の前で、愛など誓っても、それはキッと神様じゃあなくて、誰かとの約束でしかないんだ。誓わなければ意味を成さないものに、果たしてどれほどの価値があるのか、笑みを抑えるばかりだ。」

「決められたルールと、誓いが無ければ、一緒にいる事が出来ない人達なんて、キッといつまでもは一緒に居られないのでしょうね。」

そんな話をよくしたものです。

2人は、自分達が幸せだとは思っていませんでしたが、別段不幸だとも思っていませんでした。

子どもが出来ないままに年老いてしまった老夫婦が、少女人形を買ってきては、自分の子どものようにあやしている情景の方が、不幸だと思っていました。

毎晩、毎晩小さなシングルベットで、2人、まるで、生まれる前、胎内で引っ付いていた双子のようにくっついて眠りに付く前には
「知っているかい。この世にはね、本当に悲しい事があるんだよ」
と話して、今日を終えるのが日課です。

いつか2人は幸せになる。

いつか2人で幸せになる。

いつか2人こそ幸せになる。

いつか2人は幸せだ。

・・・でも、幸せとは何だろう。

答えの出ないままに、時間だけが過ぎていきます。

俊夫は相も変わらず、生命ばかりに探求し、姫子は相も変わらず、美ばかりに探求していました。

でも実は、俊夫自身がいつまでたっても分からなかった生きている意味、存在している意味は、姫子と出会ってから、その輪郭が見え始めていました。もちろん、未だ、俊夫自身は気が付いては居ないのですが。もしかしたら、気が付かないように苦心していたのかも知れません。だからこそ、水の中の生き物の生命にばかり探求していたのかも知れません。

でも実は、姫子自身がいつまでもたっても求めていた美しいもの。キレイなものは、俊夫に出会ってから、その輪郭が見え始めていました。もちろん、未だ、姫子自身は気が付いてはいないのですが。もしかしたら、気が付かないように苦心していたのかもしれません。今の生活が充実し、それを壊してしまうであろう終末に単なる恐怖とは少しだけ違う畏怖を感じていたのかも知れません。

それは、ある雨の夜に起きました。

その夜、姫子は、いつもと同じように、俊夫と同じ食卓で夕飯を食べた後、いつもとは違い、外へふらっと出かけていきました。とくに何とはなしに、どこ行くわけでもなくふらっと出かけていきました。一体、姫子にどんな思惑があったのか、今はもう知る余地も無いのです。

数時間が経ちました。

俊夫は、この時になって、あるひとつの考えが頭をよぎりました。

コレまで自分がしてきたように、もし、自分と同じ考えを持つ、水のこちら側に居る人間が、姫子に対して、いつも自分が当たり前のようにしている事をしてしまったとしたら・・・

どこへ行くのか。何をしに行くのか。一言聞いてみても良かったのでは・・・と考えましたが、もう、詮無い事です。

さらに数時間が経ちました。

やっとの事で家のドアが開き、姫子が帰ってきた時には、日付が変わり、それからまだ随分と時間が経っていました。

俊夫は、安堵しましたが、同時に、雨に濡れ、泥に汚れ、衣類がぼろぼろに着崩れていた事から、姫子に起こった出来事を理解してしまいました。

それは時に起こる事。

それは時として起こりえる事。

この世には、そう思っていても、動揺してしまう事も少なくは無いのです。

姫子は、俊夫から見た贔屓目なくしても、単純に美しかったので、その価値はおそらく水の中にいたとて、分からないはずは無いだろうし、そうなるといつかはこうなる事もありえるだろうと、どこかで思っていました。俊夫自体は、姫子の不貞を愛していたわけではなかったので、そんな事何にも関係ないと思い、あえていつもと同じように振舞いました。

「この社会は、あたしを必要としてはくれないのに、あたしの体だけは必要としてくれるみたいだよ」

乾いた笑いをしながら姫子は呟きました。

「それからの数時間はね、少し遠いのだけれども、実家の近くにあるさほど遊具もない小さな公園で、ブランコに乗ってたよ。ねぇ、知ってる。人の人生は、ブランコのようなもので、反動と言うものがあるんだ。どんなに自分ばかり通そうとしても、反動で、いつかは、自分が押さえつけられてしまう。それに、鎖だってあるもんだから、どこへだって行けるような事は決してないんだよ。」

そして最後に
「あたしは、自分ばかり通そうとしちゃったのかなぁ?」
とだけ言って、小さく頭を小突くフリをしたのです。

俊夫は、静かに姫子を抱きしめました。

腰に腕を回せば、腕が余るほどにか細いその体は、静かに震えていましたが、それが寒さからなのか、恐怖からなのかさえ、もう俊夫には分かりません。いつもなら、まるで古い洋屋敷の年老いた庭師が、手に握った庭の草花の名前を知るように感じていた姫子の心が分からないのも、キッと、動揺していたのでしょう。

それから、2人は何もしゃべらずに、いつもと同じように、2人、まるで、生まれる前、胎内で引っ付いていた双子のようにくっついて眠りました。

静かに、姫子が泣いていることが分かる夜。

朝になり目を覚ますと、姫子は、首を吊って死んでいました。

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