序章

人間が本当に絶望したときに現れる感情が感謝であると言う事を俊夫は知っていました。

それは、感覚的な問題ではなく、実体験として知っているわけなのです。

雨上がりのまとわり付くような天気の夜には、いつもより少しだけ星に近くなれるような高台の上に行き、そこから一望できる、どにでもあるような街の夜景を見てはあの日を思い出します。忘れてしまいたいわけではなく、かといって、思い出したいわけでもない他愛もない思い出であると俊夫は思い込んでいましたが、実は、それは、どうしたって忘れる事などできやしない、大切な思い出でした。

その日も、俊夫は今日と同じように、いつもより少しだけ星に近くなれるような高台の上で、もう届く事のない姫子に向け、ただ「ありがとうありがとう」と繰り返し叫んでいました。それはもう、まるで狂ってしまった厭人狂者が世を果敢なみ、しかし、この世に生を受けた事への強烈な感謝を表現するためにただ連呼するかのように見えたでしょう。時を同じくして、その高台の上に居た、幸せそうな男女数組からは、確実にそう見えたはずです。

確かに強烈な感謝でした。

ただ、その数組の男女が考える形よりはるかに歪な感謝なのでした。

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