【第3章 ふたり】 第1話
「キレイ・・・」
俊夫が姫子に対して、静かに、そして当たり前のように殺意を感じていた傍ら、姫子は、静かに、そして当たり前のように俊夫に密かな恋心を抱きました。
「あたしのコレまでの人生と言ったら、それはもう、花火の無い夏祭りのようなもので、誰からも見向きもされないものなのよ。でも、あたし自身は、花火の無い夏祭りのようなそんな人生の最後にある、あの何とも言えない焦燥感こそこの世で最も素敵なものだと思う。そう・・・それは、まさに今のあなたのように。」
姫子は、自己紹介のつもりで話しただけでしたが、それが実は、俊夫の当たり前の殺意を興味へと変えるには十分な役目を果たしていました。
俊夫は初めて、姫子の顔を覗き込みます。
ぽっかりと開いたふたつの穴の中に目玉のある、それはそれは凡庸な顔。俊夫は、解体、腑分けを通して、何だか、人間の顔がどこまでも凡庸なものに思えて仕方が無いのです。
でも、姫子のぽっかりと開いたふたつの穴の中にある、その目玉は、まるで、お花畑を信じる少女が、道端に凛と咲いた一輪の小さな、それで居て美しい花を眺めるかのようでした。
無意識の話になりますが、俊夫も同じような目玉で、この鮮血の中での出来事を眺めていた事を知っていました。
つまりは、同類。
俊夫は、初めて、水の外に存在するものに触れた気がしました。
仲睦まじく、もう20年は連れ添った男女のようだとも感じました。
「オレも花火のない夏祭りのような人生を送っては来た。あなたは依然として凡庸だけれども、それでも、どうやら、ふたつのぽっかりとあいた穴の中にある目玉だけは、何だかとってもキレイじゃないか。」
その日から、2人はただただ寄り添うように歩み始めました。
一生涯キッと誰とも交わる事など無いだろうと考えていた、俊夫と姫子ではありましたが、結果論から言えば、本当に驚くほどの短時間で、お互いがお互いの事を、運命と言う陳腐な言葉でしか語れないほどに求めあってしまったのでした。
それでも、俊夫の生命に対する探究心は留まる事は無く、姫子の美に対する探究心も留まる事はありません。
雨上がりのまとわり付く夏の夜には、大きな花火を何百発も打ち上げるような夏祭りに2人して出向き、どこまでもどこまでも沈み込むような暗い路地裏で、一人は、純真無垢な少女を解体、腑分けし、もう一人はそれを当たり前のように眺めています。2人は、まるで、お花畑を信じる少女が、道端に凛と咲いた一輪の小さな、それで居て美しい花を眺めるかのような、とてもきらきらとした、しかし少し淡い青色を瞳の奥に灯しています。
キッと凡庸な方には、それが、普通の形には見えはしないでしょう。
でも、2人にとっては、それが凡庸な、そして幼い頃から誰にも理解されないままに抱え込んできた至って常識的な形でした。
2人はとても愛し合っていました。
桶をひっくり返したような雨の日や、殴られるような風の日には、好んで2人で散歩に出かけました。何時間も何時間も、時には10時間を越えるような散歩です。2人は、社会をとても生き難いものだと認識しておりましたから、とても歩きやすい晴れ渡る日には、部屋のベットで静かに眠り、桶をひっくり返したような雨の日や、殴られるような風の日にだけ外に出るのでした。
「まるで僕達の歩んできたような人生のようだ。」
と言うと、2人まるで気が違ったように笑いあうのでした。
そんな2人ですから、もちろん、周りからは、少々痛々しい目で見られています。
生まれた時から、奇異の目で見られ続けていた2人は、奇異の目で見られることには慣れていました。「価値観が違うのだから。」と俊夫が話すと、「あたし達2人だって、価値観が同じじゃあないのに」と姫子が答え、「それじゃあ結局は、誰も彼も、何だか分からないけど、嫌いなときに、価値観が違うからと言う言い訳をしているだけなんだろう。」と言う結論に落ち着くのです。
俊夫の家族はまだ良かったのですが、姫子の家族など、(地元密着型の開業医だったからと一概には言えませんが)とてもプライドが高いので、時代錯誤にも勘当のように家を出されてしまいました。